お知らせ
本号の巻頭コラムでは、福澤諭吉記念慶應義塾史展示館専門員の横山寛氏に慶應義塾における鴎外、鴎外と福澤諭吉とを繋ぐ新資料についてご執筆いただきました。
館報は館内で配布中のほか、こちらでもご覧いただけます。
開催中の展覧会から、展示資料を紹介します。
坪内逍遙筆鴎外宛書簡 明治24(1891)年8月30日
東京専門学校(現・早稲田大学)の「文学科御教授の件」について依頼しています。「定めし御多忙と拝察候へども何卒隔週一回にてもよろしく候(後略)」と鴎外が忙しいことは承知しつつも、「生徒よりの懇願」を受けての依頼であることを伝えています。当時鴎外は、陸軍軍医学校で教官として勤めながら、主宰する文学評論雑誌「しがらみ草紙」を月刊で発行するなど、文筆を盛んに行っていました。
鴎外は明治24年9月より逍遙著作への批評を開始し、没理想論争へと発展していきます。鴎外が担当する美学の講義は明治25年3月より開講予定でしたが…その後どうなったのかは展示室でご覧ください。
開催中の展覧会から、展示資料を紹介します。
●J. Kollmann “Plastische Anatomie des menschlichen Körpers : ein Handbuch für Künstler und Kunstfreunde” Leipzig : Veit, 1886 【東京大学総合図書館蔵】
●鴎外、久米桂一郎同選『芸用解剖学 骨論之部』画報社 明治36(1903)年
鴎外は明治24年から東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)で美術解剖学を講義しました。その際に参考にした資料の一つがドイツの解剖学者コールマン(Kollmann)の美術解剖学書『造形的解体学』です。この書籍には、骨格や筋肉の図版が数多く掲載されています。
明治30年、同校の卒業生・大村西崖が雑誌「美術評論」を創刊しました。鴎外は、当時美術解剖学を担当していた久米桂一郎と共に『芸用解剖学』を連載しました。連載は未完に終わりましたが、同36年に項目を加え『芸用解剖学 骨論之部』として刊行。同書には、コールマンの『造形的解体学』から多くの図版を転載しています。
5月27・28日(月・火)は全館休館です。
5月29日(水)より通常開館いたします。
特別展「教壇に立った鴎外先生」を引き続きお楽しみください。
開催中の展覧会から、展示資料を紹介します。
慶應義塾「大学部学生勤惰表」 明治29(1896)年 慶應義塾福澤研究センター蔵
鴎外は明治25年から32年まで慶應義塾大学部文学科で嘱託講師として美学を講義していました。
教え子に、明治29年に卒業し、後に大阪毎日新聞社社長となった奥村信太郎(1875~1951)がいます。奥村はのちに鴎外の講義を『追憶の森鴎外博士』『新聞に終始して』などで回想しています。その中で、「六人の少人数であるからまるで座談風に極くうち解けて、途中で雑談を交えたりして愉快に一時間の講義を楽しんだものである」(『追憶の森鴎外博士』)と記しています。
展示会場ではこの6人の成績表(勤惰表)、そして卒業生と創立者・福澤諭吉、鴎外ら講師や教授が写った写真を展示しています。