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文京区立森鴎外記念館 周辺案内
団子坂
千代田線千駄木駅 1 番出口から文京区立森鴎外記念館へと上る坂。団子坂上の観潮楼に鴎外が住んでいた頃は、今よりも狭く急な坂であったともいわれる。 かつては菊人形の名所として栄え、鴎外はその活況を小説『青年』(明治 43〈1910〉~44〈1911〉年)で「四辻を右へ坂を降りると右も左も菊細工の小屋である」とあらわしている。 団子坂は鴎外の史伝小説『細木香以』にも登場するほか、二葉亭四迷『浮雲』(明治 20〈1887〉~22〈1889〉年)や夏目漱石『三四郎』(明治 41〈1908〉年)、永井荷風『日和下駄』(大正 4〈1915〉 年)、江戸川乱歩『D 坂の殺人事件』(大正 13〈1924〉年)など多くの作品に描かれ、近代文学と縁の深い坂といえる。
根津神社
鴎外や夏目漱石が散歩の時によく訪れた場所であり、境内にはその際に腰を下ろしたと伝えられる「文豪憩いの石」や、鴎外が日露戦争記念として奉納した砲台が残されている。 砲台は、現在は水飲み場として利用されており、台座裏には「戦利砲弾奉納 陸軍々医監森林太郎」という刻字が確認できる。鴎外の『青年』や夏目漱石の『三四郎』『道草』に描かれる根津神社は、文明年間(1469‐86 年)に太田道灌が社殿を造営したと伝えられる由 緒ある古社で、現在の社殿は 5 代将軍綱吉によって造営された。本殿・拝殿・幣殿・唐門・楼門・透塀は国の重要文化財に指定されている。
猫の家(千朶山房せんださんぼう)
イギリス留学から帰国した夏目漱石が明治 36(1903)年 3 月~同 39(1906)年 9 月まで暮らし、『吾輩は猫である』を執筆して国民的作家となった場所である。漱石が居住する11 年前、 鴎外は最初の妻・登志子と離婚し、二人の弟と明治 23(1890)年 10 月~同 25 (1892)年 1 月まで 1 年余りを過ごした。 鴎外は軍医として勤務する傍ら、「千朶山房」と名付けたこの場所でドイツ三部作のひとつである『文づかひ』を執筆。雑誌「しがらみ草紙」では坪内逍遙と没理想論争を展開するなど、盛んな文芸活動をしていた。現在は「夏 目漱石旧居跡」の碑と猫の像が建てられ、家屋は愛知県犬山市の博物館「明治村」に移築保存されている。