記念館について
ごあいさつ
薮下通り側入口 | 明治の文豪森鴎外が誕生して150年目の2012年、2008年より改築のため休館しておりました「文京区立本郷図書館鴎外記念室」が、新たに「文京区立森鴎外記念館」として生まれ変わりました。 文京区千駄木は、鴎外がその半生を過ごした地です。記念館が建つ場所は、鴎外の旧居「観潮楼」の跡地で、鴎外は1892(明治25)年から、亡くなる1922(大正11)年までここで過ごしました。 小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医と、いくつもの顔をもつ鴎外は、その業績から傑出した才能は明らかですが、文化人たちとの交流からも人間鴎外の大きさを知ることができます。 鴎外の活躍にならい、記念館も幅広い活動を目指しています。文字との出会いだけでなく、文学と人と街とが広く交流する場となりたい―そうした願いをこめて、文京区立森鴎外記念館が開館いたしました。 |
1Fエントランス | 正面外観 |
沿革・歴史
観潮楼は、鴎外の没後しばらくは家族が暮らし、その後は借家となりました。1937(昭和12)年に借家人の失火により母屋の大部分が焼失。1945(昭和20)年には戦災により、胸像、銀杏の木、門の敷石、三人冗語の石以外はすべて焼失してしまいました。
1949(昭和24年)、当時国立博物館館長だった高橋誠一郎が委員長となり、永井荷風、佐佐木信綱、齋藤茂吉らを中心とした鴎外記念館準備会が発足し、建設費の寄附を募りました。翌1950(昭和25)年、鴎外生誕88年を機とし、観潮楼跡は記念公園(児童遊園地)となり、東京都の史跡として指定を受けました。1951(昭和26)年からは、鴎外の三男類が大観音通り側の一角で書店「千朶書房(せんだしょぼう)」を営んでいました(1961(昭和36)年まで)。1954(昭和29)年、鴎外の33回忌に胸像と「沙羅の木」の詩碑が設置されました。
1962(昭和37)年、鴎外生誕100年の年、「鴎外記念室」を併設した「文京区立鴎外記念本郷図書館」(設計:谷口吉郎)が開館。このとき、薮下通り側の鴎外記念室入口の門標として、佐佐木信綱の筆による「観潮楼址」碑が設置され、また鴎外記念室入口近くの壁には、佐藤春夫寄贈、高田博厚制作の「森鴎外レリーフ」が取付けられました。
2006(平成18)年、図書館移転に伴い(現本郷図書館)、記念室は独立して「本郷図書館鴎外記念室」となりました。2008(平成20)年、遺品資料の保存環境改善のため、改築が決まり、鴎外記念室は休室となり、庭園のみの開放となりました。
2009(平成21)年、森鴎外記念館(当時仮称)の建設に向けて、森鴎外基金を設立、翌年から工事着工。1年半の建設工事を経て2012(平成24)年6月竣工。2012(平成24)年11月1日、「文京区立森鴎外記念館」として開館しました。
観潮楼焼け跡 | 記念公園 | 鴎外記念本郷図書館 |