お知らせ

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 投稿日時: 2026-03-18 (104 ヒット)

開催中の展覧会から展示資料を紹介します。
 
 
 
葉書「鴎外筆 於菟宛」明治38年5月31日 於菟旧蔵 【501051】
葉書「鴎外筆 杏奴宛」大正11年5月3日 杏奴旧蔵 【501136】
 
当館が所蔵する鴎外の遺品資料は、長男・於菟と次女・杏奴旧蔵が核となっています。昭和37年に於菟自らが1700点ほど、平成18年に杏奴のご遺族が142点を文京区に寄贈しました。
 
遺品資料の中には、鴎外の愛用品や自筆原稿、日記、書簡の他、親子の思い出が詰まった資料が数多くあります。鴎外は仕事で家族と離れる際はたびたび手紙を送っていました。本展では、日露戦争中に戦地から於菟に送った葉書と、奈良出張中に杏奴に送った葉書を展示しています。
 
於菟宛の葉書には、過ぎ去る春を詠んだ俳句の下に花びらのようなものが貼られています。日露戦争中、於菟は鴎外に未使用の絵葉書を送り、鴎外はその絵葉書に詩歌をしたためて返送しました(『父親としての森鴎外』)。この時、鴎外43歳、於菟15歳。長引く戦争で帰国もままならない鴎外にとって、大事な親子のコミュニケーションツールだったのでしょう。
一方、杏奴宛の葉書には、出張先の奈良・正倉院に咲くゲンゲ(レンゲソウ)を「子供にとらせたいと思った」と記してあります。その2日後、ゲンゲの押し花が杏奴のもとに届きました。草花を愛した鴎外らしい贈り物です。鴎外は60歳、杏奴は13歳。この約2ヶ月後、鴎外は死去しました。
 
親子の思い出が詰まった資料から、「特別柔かな気持を持っている人だった」(杏奴『思出』)という鴎外の姿を思い浮かべてみてください。コレクション展「鴎外と子どもたち—於菟、茉莉、杏奴、類が語るパッパ」は3月31日(火)までの開催です。


 投稿日時: 2026-03-16 (148 ヒット)

3月23日(月)、24日(火)は全館休館です。3月25日(水)から通常開館いたします。


 


 投稿日時: 2026-02-22 (248 ヒット)

開催中の展覧会から展示資料を紹介します。


 
茉莉自筆原稿『シルレルとウンテル・デン・リンデン』(『ドッキリチャンネル』141) 昭和57年発表 【100308】
 
鴎外の長女・茉莉による雑誌「週刊新潮」(昭和54~60年)に連載した『ドッキリチャンネル』の原稿です。茉莉流のテレビ評として人気を博しましたが、話題はテレビに留まりません。鴎外との思い出も頻繁に登場します。表題は、鴎外が愛読したドイツの詩人シラーと、小説『舞姫』にも登場するベルリンの大通りウンター・デン・リンデンを指しています。
 
本展で展示している箇所は、4枚目と5枚目です。
4枚目は鴎外の最晩年、病床にある時のエピソードです。茉莉は日本を離れ、フランス留学していた夫・珠樹の元にいました。鴎外はヨーロッパにいる茉莉を想い、「一生の中で一番楽しい刻(とき)だ」と、自らの病状、危篤、死を茉莉には知らせないよう、志げに伝えたといいます。かつて青春を謳歌したドイツ留学を思い出したのかもしれません。
5枚目では鴎外の表情について語っています。鴎外は笑う時、「胸の中に隠している楽しいことを、その人だけに、そっとしらせ」るような表情でした。一方、学問や文学について考えている時の鴎外の「目は鋭くて射るようであった」と回想しています。同じような鋭い目を持った人物として心理学者・矢田部達郎と野球選手・長嶋茂雄を挙げ、ようやくテレビの話題に戻ります。
 
本稿発表時、茉莉は79歳を迎えていましたが、鴎外との思い出は鮮明で、その存在が掛け替えのないものであることが伝わってきます。また、原稿の筆跡ははつらつとしており、次々と変わる話題はまるで茉莉のおしゃべりを聞いているかのようです。会場では本稿を含めた4点の『ドッキリチャンネル』自筆原稿を展示しています。


 投稿日時: 2026-02-15 (146 ヒット)

2月24日(火)~26日(木)は全館休館です。
 
2月27日(金)は開館いたしますが、モリキネカフェは休業です。
 
コレクション展「鴎外と子どもたち―於菟、茉莉、杏奴、類が語るパッパ」を引き続きお楽しみください。


 投稿日時: 2026-02-13 (176 ヒット)

日ごろよりモリキネカフェをご愛顧いただき誠にありがとうございます。

このたび、店内メンテナンスのため下記の日程で休業させて頂きます。
 

休業期間:2月24日(火)~27日(金)

何卒ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。


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