鴎外をめぐる散策1

2013年 3月 30日

鴎外とその家族の住んだ街-北千住・千駄木・本郷

受付は終了いたしました。たくさんのご応募ありがとうございました。

日程 3月30日(土) 10時~(雨天決行)

ナビゲーター 倉本幸弘(森鴎外記念会常任理事・日本工業大学非常勤講師)

参加費 4000円(交通費・ランチ代・保険代を含みます)

定員 20名(事前申込制・先着順)

申込み締切 3月21日(木)必着

【コース】

森鴎外記念館(団子坂上)→〈地下鉄〉

→北千住→〈徒歩〉→橘井堂医院址→千住宿跡→〈地下鉄〉

→湯島→〈徒歩〉→無縁坂→鉄門(=東大構内)

→東京大学伊藤国際学術センター内レストラン「カメリア」にてランチ

→食事後、解散

 


明治時代が始まって間もなく、石見国(島根県)の山間の街<津和野>から鷗外とその家族は上京します。鷗外10歳、新橋―横浜間を結ぶ鉄道が走り始めた年のことでした。

上京後まもなく江戸四宿の一つであった<千住>に父・静男は「橘井堂医院」を開業し、家族はそこで暮します。後に鷗外の妹、喜美子は「北千住の家」で、幼かった日々を過ごした千住の街を懐かしく回想し、鷗外は父の医院を手伝った経験を「カズイスチカ」という作品の中で語ります。
 本郷の医学校に入学した鷗外はひとり千住の家を出てその寄宿舎や下宿に住みます。その頃の<本郷界隈>の様子は<無縁坂>を舞台とした名作『雁』の中で語られています。
 明治25年、団子坂上の家<観潮楼>に初めて一家がそろって住むことになります。鷗外30歳、家族が津和野を出て20年の歳月が過ぎていました。
 
今回の散策は、津和野から上京後の鷗外とその家族の足跡を徒歩と地下鉄で廻ります。
散策の締めくくりは、若き日の鷗外が学んだ医学校の鉄門をくぐって東大構内に入り、伊藤国際学術研究センター内のレストラン
「カメリア」にてランチをお楽しみいただきながら、医学生時代の鷗外のエピソードなどを紹介いたします。




この予定は 文京区立森鴎外記念館 にて作成されました
https://moriogai-kinenkan.jp